jlpt需要哪些学习资料 JLPT这些易错的词你都会吗(1)

河口湖

1. 快刀乱麻(かいとうらんま)を断つ。

鋭い刀でもつれた麻糸を断ち切るように、物事を鮮やかに解決することを「快刀乱麻を断つ」という。もちろん、スポーツ新聞などでよく目にする「快投乱麻」は、この言葉をもじった表現である。

用锋利的刀将纠缠在一起的麻绳切断,巧妙地解决问题叫做“快刀斩乱麻”。当然在体育新闻中我们经常能看到的“快投乱麻”一词就是从快刀斩乱麻而拙劣模仿出来的说法。

2. その危険性はいやがうえにも(弥が上にも)増えた。

「弥」は「ますます」の意味を表す。「弥が上にも」のほかに「弥増す」などがある。「いや」のつく言葉に「否応なし」「いやでも」があるが、こちらは「否」と書く。

「弥」是越来越,更加的意思。除了「弥が上にも」一词,也有「弥増す」。带「いや」的词语有「否応なし」「いやでも」,但它们汉字是写「否」。

3. 間髪(かんはつ)をいれず返答する。

「間に一本の髪の毛を入れる隙もない」の意味の故事成語だ。「かん、はつを入れず」と読むのが正しい。「間髪」は元々一つの言葉ではなく、「かんぱつ」と続けて読むのは誤りである。

本是出自成语故事“中间放一根头发的缝隙都没有”之意。本来正确的读法是「かん、はつを入れず」,「間髪」原本就不是一个单词,間和髪是要分开读的,「かんぱつ」的读法也是错误的。

4. 一炊(いっすい)の夢。

「邯鄲の夢」「盧生の夢」ともいう。昔盧生という青年が、栄華を極めた自分に一生を夢に見たが、目が覚めてみると、粟飯を炊いているほんの短い間だったという故事に由来する。栄光盛衰のはかなさのたとえとして用いられる言葉である。

也称“邯郸之梦”“卢生之梦”。从前有一个叫卢生的年轻人梦见自己极尽荣华一生的梦,醒来时却发现只是在煮糙米饭短短一时间的故事而产生的说法。通常用来比如兴盛衰败的无常。

5. 討ち取った武将の首実検(くびじっけん)が行われる。

昔は写真などという便利な物がないから、討ち取った武将が誰であるかは実物の生首で確認するしか方法がなかった。これは「首実検」いう。「実検」とは「本当かどうかを実際に確かめる」の意味だ。これを「実験」としてしまうと、何とも恐るべき言葉となってしまう。

从前没有像照片这么方便的东西,所以只能将夺取的武将人头是谁的人头进行实物确认这种方法,称做「首実検」。「首実検」的意思就是进行实际地确认是不是真的。如果把「実検」当做「実験」一词错得有点离谱了。

6. そんな褒め言葉は、外交辞令(がいこうじれい)に過ぎない。

外交に「礼儀」は不可欠なものだけに「辞礼」としてしまいそうだが、誤りだ、「辞令」とは、応対の時に使われる言葉のこと。「外交辞令」などという。

外交“礼仪”是不可缺少的,而将其错当作了「辞礼」是错误的。所谓「辞令」是在应答,应对时使用的词语。所以叫“外交辞令”。

7. 今は商店街の書き入れ時(かきいれどき)だ。

商売などが繁盛して、忙しい時期のことを「書き入れ時」という。「書き入れ」とは、帳簿の記入のこと。商売が繁盛すると帳簿の記入が忙しくなることから、こう言われるようになった。

生意兴隆,很忙的时段称做「書き入れ時」。「書き入れ」是指记帐。生意忙起来就没有了记帐的时间。

8. これは気骨(きぼね)が折れる仕事だ。

「気骨が折れる」とは「気苦労が多く、神経が疲れる」という意味。「気骨」と読む。「気骨」を「きこつ」と読むこともあるが、「信念を曲げない強い意志」という別の意味 になる。

「気骨が折れる」是指操心,劳神的意思。读作「気骨きぼね」。也有将「気骨」读作「き こつ」的读法,但意思变成不可扭曲的坚强意志。

9. 御多分(ごたぶん)に洩れず、彼も賭け事が好きらしい。

「うわさどおりの」の意味だと思って「御多聞」と書くのは大間違い。「御多分に洩れず」が正しい。「多分」とは「大部分」の意味で、「他の多くの例と同様に」という意味である。

认为意思是正如传闻谣言那样而将汉字写成「御多聞」是大错特错。正确写法是「御多分に洩れず」。「多分」相当于「大部分」的意思,也就是和其他多数例子一样,差不多的意思。

10.あいつはわが社にとって獅子身中(しししんちゅう)の虫だ。

内部の者でありながら、属している組織などに害を与える者を、獅子の体の中に寄生する虫に例えて、「獅子身中の虫」という。元来は仏教の言葉で、仏徒でありながら仏法に害をなす者を指した。

虽是内部人员,但却给所属部门带来了伤害,将其比作狮子身体中的寄生虫,所以叫做「獅子身中の虫」。原本是出自佛教的词语,意指虽是佛教徙却给佛法带来了有害。

11.業界の垣根を超えたこのプロジェクトには多士済々(たしせいせい)の人物が集まった。

どちらが正しい読み方か迷うところだが、本来は「せいせい」。それがしだいに「さいさい」と読まれるようになり定着した。「済済」は数が多く盛んな様子。「多士」は多くの人材。

不知道哪个是正确的读法,但原本应该读「せいせい」。却不断地被人读作「さいさい」「済済」是指数量之多,兴盛的样子。「多士」是指很多的人才。

12.あきれて二の句が継げない(つげない)

「二の句」とは、「次の言い出す言葉」という意味。「二の句がつげない」とは「次の言葉が出てこない」、つまり「次の言葉を継ぐことができない」ということである。あきれて開いて口が塞がらない状態のことだ。

「二の句」是指下一句。「二の句がつげない」是指接不住接下来话,也就是说接不上话,意指目瞪口呆的样子。

13.百メートル走は韋駄天の異名を持つ彼の独擅場(どくせんじょう)だった。

思うままに活躍する様を「独擅場」という。「擅」が「壇」の字と似ているため、「どくだんじょう」と誤読され、「独壇場」という新語が生まれた。もともと「独壇場」という言葉は存在しなかったのである。

按自己所想像地活跃样子叫做「独擅場」。「擅」和「壇」汉字很像,而错读成「どくだんじょう」由此诞生了「独壇場」一词,原本是不存在这个词的。

14.絶対絶命(ぜったいぜつめい)のピンチに陥る。

「絶体絶命」で進退窮まる状態を表す。「絶体」は見慣れない言葉だけに「絶対」と書いてしまいがちだ。「絶体」も「絶命」も九星占いの凶星名である。

「絶体絶命」表达的是进退两难的状态。因不习惯「絶体」二字而容易将其写成「絶対「絶体」「絶命」也都是九星占卜的凶星名字。

15.馬子(まご)にも衣装ですよ。

「馬子」とは馬を引いて人や荷物を運ぶことを生業とした者のこと。その馬子のような者でも立派な衣装を見につければ、それなりに見えるという意味のことわざだ。「馬子にわんぼう」ということわざもある。こちらは馬子にはどてらが似合うという意味で、分相応なことのたとえとして用いられる。

「馬子」是指以牵着马运人,或是搬运货物为生计的人。即使是赶马的人如果穿上气派的衣服,也就能看见那有模有样的样子。也有谚语「馬子にわんぼう」之说,意为长宽袖的袍子适合赶马之人,是一个与身份相称的比方用法。

16.彼とは入魂(じっこん)の仲です。

「にゅうこん」と読むこともできるが、「にゅうこんの仲」とはいわない。「入魂」

「心やすい」「親しい」の意味で、「昵懇」とも書く。

可以读作「にゅうこん」,但不能用于读「にゅうこんの仲」。「入魂」是指内心温柔,亲

切的意思,也可以写作「昵懇」。

17.オリンピックの金メダリストが秋の園遊会(えんゆうかい)に招かれた。

「園遊会」は庭園に演芸場や模擬店を設けて、客を招いてもてなす祝宴のこと。現在では天皇皇后両陛下主催のものが有名。春.秋二回、政界、経済界、スポーツ界、芸能界などから、約二千人の著名人が招待される。

「園遊会」是在庭院里搭上演戏台,临时卖台,招呼客人进行招待的一种宴会。现在有名的要数由天皇皇后两人举办的游园会。春秋两次招待政界,经济界,体育界和艺人等达到约2000多人。

18.そんな夜郎自大(やろうじだい)な考えは改めたほうがいい。

自分の力量を知らず、仲間うちで威張る者を「夜郎自大」という。漢の時代、西南部の夜郎という部族は、漢の強大さを知らず、自らを大国であると誇り、漢の使者に対して尊大な態度で接したという故事に由来する言葉である。

不知道自己的实力,只在同伴中逞威风被称为「夜郎自大」。此词语出自于汉代故事,西南部有一个叫夜郞的族群,不知道汉的强大,自豪自己是大国,对汉的使者用骄傲自大的态度接待。

19.喧々囂々(けんけんごうごう)たる避難が湧き上がる。

「喧々囂々」は大勢の人がやかましく騒ぎ立てる様を表す。「喧々諤々(けんけんがくがく)」の読み方は「喧々囂々」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」と混交して誤用された言葉。

「喧々囂々」表达的是很多的人吵闹,嘈杂的叫嚷着的场景。「喧々諤々(けんけんがくがく)」的读音是由「喧々囂々」和「侃々諤々(かんかんがくがく)」混淆误用产生的。

20.息せき切って(いきせききって)駆けつける。

「息せききる」は、非常に急いで息を弾ませることを言う。「急き」は「急く(急ぐ)」の変化した形。これに「咳」を当てるのは誤りである。

「息せききる」是指非常紧急使呼吸变急促。「急き」是由「急く(急ぐ)」变化而来,但当作「咳」是错误的用法。

21.世界の名優たちが綺羅星のごとく(きらほしのごとく)居並んでいる。

「綺羅」は「綺麗な衣服」の意味。「綺羅星のごとく」は本来「きら、ほしのごとく」と読み、美しく着飾った輝くような人々が星のように居並ぶ様子を表した。「綺羅星(きらぼし)」という言葉はこれを誤って続けて読んだ結果、定着したもの。

「綺羅」是指漂亮的衣服。「綺羅星のごとく」原本的读音是分开读「きら、ほしのごとく」,形容用美丽的衣服装饰的闪闪发光的人们聚集在一起时的光景。读成「綺羅星(きらぼし)」一词是种错误读法的延用,现在成了常用用法。

22.こうなったら、君とは一蓮托生(いちれんたくしょう)だ。

「運命をともにする」の意味から、「連」の字を想起するのは誤り。この言葉の由来は、同じ心で念仏を唱えれば、同じ蓮の上に生まれ変わる、という仏教の教えにある。

这是从“共命运”之意想起来“连”的误用。此词语出自佛教教义:同心念佛的话,就可以在同一朵莲上重生。

23.危機一髪(ききいっぱつ)で助かった。

「007/ロシアより愛を込めて」はシリーズ最高傑作との呼び声高い作品だが、公開当時の邦題は「007/危機一発」だった。もちろん題名の「危機一発」は「危機一髪」をもじった造語「危機一発」と誤記する人が跡を絶たないのは、この映画の影響もあるのだろうか。

「007来自俄罗斯的爱」是系列作品中被评价最棒的杰作,公映时用了题名「007/危機一発」,这词是从「危機一髪」捏造出来的,后来不断的被使用,也是受到了此电影的影响。

24.袖振り合うも多生の縁(たしょうのえん)。

見知らぬ人同士が袖を触れ合うのも、決して偶然ではなく、深い宿縁によるものだという意味のことわざ。「多生」は「他生」とも書き、何回も生まれ変わることを表す。

不相识的两人哪怕只是碰了一下袖子,也决不是偶然,而是有着很深的宿命。「多生」也写作「他生」,表示多次轮回转世之意。

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