有这样一些日本的特色词汇,看似含义简单,或是场所、物品名称,或是节日、自然现象,但其背后却暗含着丰富的日本文化,以及日本人独特的思维方式。理解这些词,不仅有助于我们走近日本,或许也可以让我们读懂日本人的内心。

本刊原日本专家福井百合子女士以随笔的形式,向我们讲述了这些特色词汇的含义,宛若开启了一次发现之旅。那么,就让我们跟随她一起去探索其中的奥妙吧。

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(1)

東京に数多くあって、北京にはないものは何か。答えはいろいろあるだろうが、その答えの一つが「坂」だ。坂は、その下からは、行き着く先に何があるか見えないミステリアスさがあり、登るにつれ視界が開け、あたりを見渡すことができるという独特の魅力があって、景観に変化を生み、町を魅力的なものにする。

地理的に言えば、坂がある場所というのはもちろん高低差がある場所で、東京の地形を見ると、北西部が小高い台地、南東部と南部が低地となっていて、そのつなぎ目の地域は手の指のように高地と低地が複雑に入り交じる構造になっている。そのために、東京には道玄坂、神楽坂などの数多くの坂が存在するのだが、高地の方を山の手(やまのて)、低地の方を下町(したまち)と呼び分けている。 

从地理上来讲,有坡路的地方自然是高低起伏,看东京的地形,西北部是略微高起的台地,东南部和南部是洼地,其过度区域的地形宛若手指,台地和洼地错综复杂。因此,东京虽然有道玄坡(如上图)、神乐坡等很多坡路存在,但从叫法上会进行区分,将地势高的一侧称为“山手”,地势低的一侧称为“下町”。

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(2)

「山の手」を使った言葉で一番有名なのは、JRの「山手線(やまのてせん)」だろう。これは、鉄道開通当時の東京の中心地であり、多くの人が居住していたために用地がとりにくかった下町を避け、山の手のほうに鉄道線路を造ったことにその名前の由来がある。ここからも分かるように、かつての中心は下町のほうで、山の手のほうは家屋敷や寺社、そしてさらに行くと田畑が広がる田舎だった。

在含有“山手”字样的词汇中,最著名的当属东京通勤铁路路线之一的 “山手线”。其名称由来和当初修建铁路时的选址有关。为了避开东京中心部,人口集中,因此难以征用土地的 “下町”区域,便选择在“山手”一侧修建铁路, 故名“山手线”。由此可以得知,原来的东京市中心在“下町”一带,“山手”一带则分布着宅院、寺院和神社,再往西便是遍地农田的乡间。

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(3)

東京の起源は、太田道灌(おおたどうかん、1432~1486)の江戸城築城に始まるとされる。後に江戸城が徳川家康の居城とされ、家康がここで江戸幕府を開いた時(1603年)から江戸の町づくりが本格的に始まった。中心となった江戸城は武蔵野台地の東側の端にあり、すぐそばには遠浅の海が広がっていた。その海を埋め立て、堀や運河をめぐらし、町を造成して各地から町人を呼び寄せて住まわせてできたのが、江戸の町だ。当初は隅田川の西岸だけだったが、江戸の人口が増えるにつれ、川向う、すなわち隅田川の東岸地域の開発も進み、江戸は拡大してゆくが、これらの地域では商工業が盛んとなり、下町と呼ばれた。

东京的起源,据称始于太田道灌(1432~1486)修建江户城。后来,江户城成为德川家康的居城,从家康在此创立江户幕府(1603年)开始,才正式兴建江户城区。城区的核心部分江户城位于武藏野台地的东端,紧邻浅海。经过填海造地,在周围修建环绕的护城河和运河,修建街道,从各地召集商人和手艺人来此居住之后,便形成了江户城区。最初,只有隅田川西岸的狭小区域,随着江户人口的增多,又开始向河对面,也就是隅田川东岸地区进行开发,使得江户的范围不断扩大,而在扩建的这一带,由于工商业发达,被称为“下町”,即商业手工业者居住区。

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(4)

この下町に住むのが江戸っ子(これについてはまた後に取り上げる)であり、そして山の手は明治維新(1868年)以降に発展した地域であるため、文明開化※1の香りがして、西洋的なイメージがある。山の手には深窓(しんそう)の令嬢(れいじょう)※2がいて、下町にはおきゃんなお転婆(てんば)娘※3がいるという感じ。何かにつけて対照的な山の手と下町だが、それぞれの魅力があると言える。

住在“下町”的多是“老东京”(相关内容今后还会专门介绍),而“山手”由于是明治维新(1868年)以后发展起来的区域,散发着文明开化的气息,街区风格很洋气。这就好像“山手”住的是千金小姐,而“下町”住的是泼辣小妹。虽然,人们动辄喜欢将“山手”和“下町”对比来看,其实二者各有千秋。

注释:

※1.文明開化 明治維新(1968)後の明治初期に西洋文化が流入し、社会・思想・文化が大きく近代化・西洋化した現象のこと。

文明开化 指在明治维新后的明治初期,西洋文化涌入日本,日本的社会、思想、文化发生现代化、西洋化巨变的现象。

※2.深窓の令嬢 良家の大切に育てられたお嬢様のことを指す言葉。悪く言えば、「世間知らず」。

千金小姐 指好人家出身,经过精心培养长大的姑娘。其负面含义指阅历浅、不食人间烟火。

※3.お転婆娘 男勝りで活発な女の子のこと。女性はおとなしく、しとやかであるべきという理想の女性像からはずれた娘のことを非難の意味を込めて言う言葉だが、こういう女性がよく小説やマンガの主人公となり、憧れの的となることは皆さんもご存じの通り。

疯丫头 指性格活泼胜似男子的女子。用来讽刺背离温顺、端庄等传统女性形象的女子。但正如大家所知,这类女性经常作为小说或漫画的主人公出现,并成为读者憧憬的对象。

小知识

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(5)

◎江户城遗址

位于东京都中心千代田区,亦称“千代田城”,被日本政府指定为国家的"特别史迹"。江户城曾是日本近代最大的城郭,建成时东西长约5.5公里、南北长约4公里,有本丸、二之丸、三之丸、西之丸等宫殿,后遭大火烧毁,唯有天守台(如上图)完好无损。明治维新后,在江户城西之丸宫殿的基础上修建了皇宫。第二次世界大战后,在本丸、二之丸、三之丸宫殿的遗址上修建了东御苑,现对外开放,成为民众的游乐场所。

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(6)

时髦的“山手”和怀旧的“下町”

著名的观光地浅草就是典型的“下町”,相当于老城区。而青山、麻布、赤坂这些遍布着买手店、优质咖啡店和高级料理店的时髦地方就处在“山手”。

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(7)

赤坂  溜池山王站

下町逐渐成为一种怀旧符号,对于已经习惯快节奏都市生活的年轻人而言,节奏缓慢依旧飘荡着昭和气息的下町令他们感到新奇,据说,“下町热”还催生了几条东京下町散步路线。其中最有名的要数横跨台东区、文京区和荒川区的“谷根千”。

日本九州大分南下郡(日本词汇大发现)(8)

与浅草保留着昔日繁华不同,漫步于“谷根千”蜿蜒曲折的石阶,在错综复杂的小巷深处探访神社庭院时,更能窥探东京下町生活的安逸闲适。

(文:福井ゆり子)

(翻译、编辑:钱海澎)

(图片来自网络)

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