移居日本的优点和缺点(移居海外后日本人的真实感受)(1)

イズミルのサンセットを眺めるNATACOさん

眺望伊兹密尔日落的NATACO

 2019年には海外で生活をする日本人は140万人を超え、そのうち海外永住者は50万人以上。2020年にはコロナ禍に伴う入国制限で長期滞在者は減少したものの、永住者に関しては増え続けているという。今や海外移住は身近なライフスタイルの一つとなっているが、実際にどんなメリット、あるいはデメリットがあるのだろうか。昨年、コロナ禍で海を渡ったアラフォー女性・ NATACOさんが、海外でのリアルな生活、そこで気付かされた「日本人の時間の考え方」について語った。

NATACOさんの美スタイルとエメラルドグリーンの海、まさに焼けるようなサンセットなど「エーゲ海の真珠」と呼ばれるイズミル市街の写真。

2019年在海外生活的日本人将超过140万人,其中海外永久居住者超过50万人。2020年,由于新冠疫情的影响,入境限制导致长期滞留者减少,但永久居住者却在持续增加。如今,移居海外已经成为生活方式中的一种,那么移居海外到底有什么好处或坏处呢?去年,因新冠疫情而移居海外的中年女性NATACO讲述了在海外的现实生活,以及在那里发现的“对时间的思考方式”的变化。

NATACO的美丽身材和翡翠绿的大海,如烈火般的日落等被称为“爱琴海的珍珠”的伊兹密尔市街的照片。

 はじめまして。突然ですが、私はパンデミック渦中だった2021年6月、日本からトルコのイズミルという町に移住しました。東京生まれで日本人の父とウクライナ人の母を持つ私は、食べることが大好きで、それが高じて料理家からフードプランナーとなり、現在は食材プロデューサーとして活動をしています。

初次见面。说得有些突然,我在新冠爆发中的2021年6月,从日本移居到了土耳其的伊兹密尔。我出生在东京,父亲是日本人,母亲是乌克兰人,我非常喜欢吃,后来从烹饪家变成了食物策划师,现在是一名食材制作人。

 そんな私があることをきっかけにトルコに生活の拠点を置くことにしたのですが、今ヨーロッパに住むと聞いてどんなことを想像するでしょうか?新型コロナの恐怖、あるいはロシアのウクライナ侵攻によるヨーロッパ全体の危機を想像し「無謀」や「真似できない」と感じる人もいるかもしれません。トルコに住み始め1年が経ちましたが、私に関して言えば「日本を離れて良かった」「トルコに来て良かった」と断言できます。むしろ、なぜもっと早く移住しなかったのかと後悔しているぐらいです。

这样的我以某件事为契机,决定在土耳其建立生活据点。现在听说我住在欧洲,你会有怎样的想象呢? 也许有人会想象新冠的恐怖,或者俄国入侵乌克兰导致的欧洲整体危机,觉得“有勇无谋”“无法模仿”。虽然在土耳其已经住了一年,但就我而言,可以断言“离开日本真好”“来到土耳其真好”。甚至后悔为什么没有早点移居。

 トルコに移住した理由は改めて説明しますが、今回はこの国が気づかせてくれた日本にはない「時間の考え方」についてお話をします。私が住むトルコ西部にあるエーゲ海に面した都市イズミルは人口が約400万人。イスタンブール、アンカラに続くトルコ第3の都市と言われていますが、非常に牧歌的な場所です。のどかな港町ゆえ、時間の感覚は根っこから東京と違います。

关于移居土耳其的理由我会再做说明,这次我想谈谈这个国家让我意识到的日本所没有的“时间观念”。我居住的土耳其西部濒临爱琴海的城市伊兹密尔,人口约400万。它被称为继伊斯坦布尔和安卡拉之后的土耳其第三大城市,是个极具田园风情的地方。因为是恬静的港口城市,所以对时间的感觉从根本上就与东京不同。

 東京で平日の毎朝の挨拶で、「おはようございます」の次に「お元気ですか?」と会話を続けることがどれだけあるでしょうか? 私が東京にいた頃は、よっぽどの時間がない限り、朝の挨拶のあとに世間話をした記憶がありません。しかし、トルコでは挨拶からの「元気ですか?」が当たり前なんです。そこから、さらに時間をかけてコミュニケーションを取ります。今朝しゃべった相手と一時間後に電話をしたとして、その都度に「元気?」としつこいくらいに元気かどうかを確かめられます。

在东京,工作日每天早上的问候语,首先是“早上好”,然后是“你好吗?” 有多少人会继续这样的对话呢? 我记得我在东京的时候,只要没有那么多时间,早上的问候之后就不会闲聊。但是,在土耳其,从寒暄到“你好吗?”这是理所当然的。然后再花更多的时间进行交流。在日本,假设和今天早上说话的人一小时后打电话,每次都问“还好吗?”,且仅仅是停留在确认对方是否健康这个层面。

 人と人の関わり方がドライな東京とは全く違います。「時間に追われる」という感覚がないのです。会う一人一人に対して自分の心にゆとり、時間に余裕がないと「元気ですか?」と話しかけるコミュニケーションは、なかなかできない気がします。しかし、この時間との向きあい方には、移住当初は戸惑いました。トルコでできた友人と約束を取り付けようとしても、だいたいが明日、または明後日まで。一週間先の予定を決めたいと私が言っても、「近くなったら決めよう」と言われます。

与人与人之间的关系冷漠的东京完全不同。没有“被时间追赶”的感觉。(在东京的时候)面对每一个人,感觉自己的心境不够开放,时间也不充裕,除了问“你好吗?”之后,很难再深入交流。但是,在移民之初,我对如何面对时间感到困惑。就算想和在土耳其结交的朋友约见面,也大多要等到明天或后天。即使我说想决定一周后的计划,对方也会说:“等时间近了再决定吧。”

 日時の約束が決まっていないことに私はストレスを感じ始めていたのですが、逆にトルコの人は、時間を決めたり、時間が決まっていることにストレスを感じているように見えました。 商品の納品を発注した業者に「この日までに作業を終えて納品してほしい」と伝えると、「どうしてあなたの決めた日時に終わらなきゃならないの?完成した時が、期日です」と言われたことがありました。これは特別なケースのように思うかもしれませんが、水道が故障して水道業者に頼んでも、友人に、貸したものをこの日までに返してほしいと言った時も彼らは驚いていました、こちらがスケジュールを決めることに怪訝な表情を浮かべるのです。

我开始因为没有约定时间而感到压力,相反,土耳其的人似乎对规定时间或被规定时间而感到压力。当我向订购商品的供应商提出“希望在这一天之前完成作业并交货”时,对方却说:“为什么必须在你决定的日期内完成呢? 完成的时候就是交货日期。也许是一个特殊情况,当供水破裂并询问供水公司时,当表达出“希望尽快处理,希望是向朋友租借的,今天想归还”时,对方对该日程的决定表情惊讶。

トルコの人にとって「期日」は「おおよその目安でしかいない」と、私は解釈している最中です。  一方で、これは「計画性がない」とも言い換えられると思います。ネガティブな印象ですが、その時の状況次第で決めればいいという、柔軟性の高さも感じています。日本だとよく会社などで、部下や仕事仲間の失敗に対して怒っている人がよくいますよね。

我认为,对土耳其人来说,“日期”只是一个大致的目标。另一方面,我认为这也可以称为“没有计划性”。虽然是消极的印象,但也能感觉到根据当时的状况来决定的灵活性很高。在日本的公司里,经常会有人因为部下或同事的失败而生气。

でも、トルコの場合、その時々で、みんな冷静に淡々と対応していくだけ。すぐに解決策をみつけようと話し合いが始まります。感情的になることはなく、傍から見たら“想定外”が当たり前のように進んでいくのです。  一度、トルコ人の友人に、「どうして予定や計画を決めないで冷静でいられるの?」と尋ねたことがあります。彼女はこう言いました。 「計画するからうまくいかない時にパニックになるんだ。物事はほとんど計画通りに進まないものだって知ってるでしょ?」

但是,土耳其的情况是,每当这个时候,大家都冷静淡然地应对。为了马上找到解决方案而开始讨论。他们不会感情用事,在旁人看来“意料之外”的事情也会理所当然地进行。有一次,土耳其朋友问我:“为什么不事先预定或者规划好的前提下,还能保持冷静呢?” 她是这样回答的:“因为一旦有计划,但并不能按计划进展,此时才会恐慌。你知道事情几乎都不按计划进行吧?”

 先のことを具体的に決めないので、毎日がある意味で“想定外”であり、それに対応するのが当たり前。そんな感覚なんです。そして、その彼女にこう言われ、ひどく落ち込んだことを思い出します。 「どうしてあなたは時間と計画の話ばかりして、“元気にしてた?”とか、“昨日は何したの?”とか、人間らしい会話をしないの? あなたはロボットみたい」 生まれてから人生の大半を日本で、東京で過ごした私は、思えば、ずっと時間に追われていたように思います。子供の頃は学校や習い事で時間を細かく区切られ、社会に出てからは仕事とプライベートで、気づけば「時間がない」と焦っていました。

由于类似的事情都不会规划的太具体,所以每天都在某种意义上是“意料之外”的,应对它是理所当然的。就是这种感觉。然后,她对我说了这样的话,想起了一些在日本的时候感到非常失落的事情。“为什么你讲的全是时间和计划的内容?”,“你还好吗?”、“昨天是怎么了?”之类的看似人类的对话(但其实不是),就这样好似机器人”一样,从出生后的大部分时光在东京都是这样渡过了。回想起来,我一直是是被时间追逐着的感觉。小时候,时间被学校和学习分割得很细,进入社会后,在如何区分工作和私人生活上稍不注意,就感觉因为“时间不够”而焦虑。

計画性があれば無駄を省け、効率よく物事が進み、結果、楽しく有効に時間を使えると信じて生きてきました。でも、トルコの人たちの目に写った私の姿は、人間らしさのないロボット。全く人生を楽しめていないように見られたのです。しばらくは本気で落ち込みました。  トルコにもいろんな人がいますし、なかには、細かく予定を決めたがる人もいるかもしれません。それにしても、多くの日本人みたいに時間に支配された生活をしている人を、トルコで私は見たことがありません。  移住から1年が経ち、私も「効率」や「時間の無駄」という言葉をあまり使わなくなりました。

我坚信,只要有计划性,就能避免浪费,让事情更有效率地进行,结果,就能快乐有效地利用时间。但是,土耳其人眼中的我是一个没有人性的机器人。看起来完全没有享受人生。有一段时间我真的很沮丧。土耳其也有各种各样的人,其中可能也有想要详细决定行程的人。即便如此,像大多数日本人那样过着被时间支配的生活的人,在土耳其我还没见过。移居一年后,我也不怎么使用“效率”和“浪费时间”这样的词了。

なぜなら、その「価値」と「意味」を共有できる人がいないからです。トルコに来て最初のころは「時間の無駄」という言葉を、一日に少なくとも1度は使っていました。するとそれを聞いた相手は毎回、「私たちには無限に時間があるよ~」と笑うのです。時間は無限ではないはずですが、日常生活で焦るほどに時間がないわけではない、という意識なのでしょう。 最近では「焦らない」ということがやっと身についてきたのも、私が焦っても相手が焦ることは絶対ないからと気づけたから。私も徐々に変化しているのかもしれません。

因为没有人能够共享其“价值”和“意义”。刚来土耳其的时候,“浪费时间”这个词,每天至少要用一次。听到这句话的人每次都会笑着说:“我们有无限的时间哦~”。时间虽然不是无限的,但在日常生活中也不是没有时间。最近我终于学会了“不着急”,因为我意识到即使我着急,对方也绝对不会着急。也许我也在慢慢地发生变化。

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